ナーゼさんとわたくし

犬を飼う準備を進めていたある夏のこと

実家の外子猫が瀕死の状態に・・・

IMG_0603.JPGここで横たわっているのを発見2008年のGWに、実家の庭に住み着いている野良猫の雌「マナベ(仮名)」が子猫を産んだみたいでしたが、彼女は過去2回出産して、2回とも子猫を連れてくることなく、授乳をしている形跡も数週間で消えてしまったため「子育てができない猫」として私たちも認識していました。
が! 今回は子育てが成功したみたいで、出産後一ヶ月ちょいで子猫が庭をうろうろするようになりました。
連れてきたのは、双子の茶トラと、この辺りの猫には珍しい短尻尾のブチ、そしてキジトラと白の靴下猫の4匹でした。
しかし、さすが子育て下手のマナベ。子猫は病気がちで、弱っている子はみるみる栄養不良状態に。マナベの母や姉妹の産んだ子は、目ヤニも鼻水も出ていない、ピッチピチの子猫が多かったのですが、前年にマナベの姉妹「ボイラー(仮名)」の出産した子猫も病気や他の生き物に殺されてしまったり、結局成長しなかったこともあり、花梨館のスタッフやオダハハさんといった、子猫を見守っていた人間たちは気が気ではありませんでした。
基本的に実家の庭に居着いている猫とは、ご近所の猫嫌いから隠れて自由に過ごせる場所と、ごはんを提供するだけの関係と割り切っておりました。理由は私は亡き愛犬クラウスと同等サイズの犬を飼う予定でしたし、実家の父は猫嫌いだったからです。なので庭を自由に使わせることと、そこに誘導し、近所のゴミを荒らさない程度のごはんを提供することで共存していました。
元々ふらりとやってきた流れ猫の子孫が増えていったのですが、ウチ以外にも、道ばたでご飯やおやつをあげる方が複数いらっしゃるので「地域猫」として定着していたということもありますし、大きな声では言えなかったのですが、“虐待をしている中年女性”というのが目撃されていたことも外猫として面倒をみようと思った理由です。
そんなこんなで、花梨館のスタッフだったT野さんと私でごはんをあげ、週末にはオダハハがやってきて豪華おやつを振る舞ってくださり、知らない女性や近くの店舗のおじいさんたちも、路地でごはんやおやつをあげていました。
本当は、うちだけでごはんをあげられれば、出歩くことも減るので事故の心配や、余所でトイレをしてしまう心配もせずに済んだのですが、うちだけの猫ではないので規制するのもちょっと・・・
話は逸れましたが、私と野良猫たちはそういう関係だったので、病気の子猫には保護活動をしてらっしゃる地元の獣医「ユミ先生」のご厚意でいただいた抗生物質を捕まる子には飲ませ、そうでない子には母乳から摂取できるようにと、同じ症状の出ている母猫に与えていました。
ところが忘れもしない7月5日、猛暑の日に木陰でぐったりしている「キジトラ靴下」を発見。一番キツイ性格で、なかなか触らせてくれなかった子猫のはずが、さわり放題です。心なしか体温も低下しており、栄養価の高いネコ缶を与えても食べず。
日陰に移してもふらふらと炎天下に出て行くなど、行動もおかしくなっていました。「野良だし、育つ育たないは生命力次第」と割り切っていたはずだったのですが、母猫マナベが鬱陶しそうに扱う場面や、倒れた子猫をちょっと舐め、途方に暮れたようにこちらをジーッと見る姿にいたたまれなくなってしまいました。
子猫はかなり弱っていたので「ダメもと」覚悟で実家に保護し、ユミ先生から抗生物質と目薬をいただき、高栄養ネコ缶を購入し、つきっきりで看病することに。昼夜問わず、数時間ごとに水と餌を無理矢理飲ませ、汚れを拭き投薬をすること丸2日。実家の玄関脇の部屋で過ごしていましたが、「一晩ももたないんじゃないか?」と言われていた子猫が寝てばかりいるとはいえ、まだ息をしていることにホッとし、夏でも涼しい別荘地にある自宅に連れて帰り、本格的に看病することになったわけです。
野良から飼い猫に昇格
IMG_0613.JPGキャリーバスケットに入れて連れ帰るただ、まだこのときは「治ったら親兄弟のところに帰す」という考えもあったのですが、1度家に上げた子を、野良に戻すのもいかがなものかしら?と思っていたのと、家に連れ帰る前にダニ・ノミチェックと簡単な診察とアドバイスをしてくださったユミ先生からも「できれば飼ってあげてね」と言われたことで、「飼う」方向に大きく傾きました。元々猫好きで何匹か飼ったこともあるので、毎日一緒にいたら絶対情が移るよなー、ということも覚悟の上での保護でしたし、猫を飼うことには反対だったいとーさんも「そんなことになると思った」と半ば諦めの境地に。
それになんといっても、回復してお目々パッチリとなった子猫のラブリーさにメロメロになってしまったのです。主にわたくしが(笑)
チビ助からナーゼに
IMG_0622.JPG鼻水と目ヤニでカピカピの頃さて、名前が「ナーゼ」という聞き慣れない言葉になった訳ですが、故クラウスさんがドイツ男児の名前だっため、この新しい家族にもドイツの男の子の名前をつけようと思ったのです。
ネットでドイツでよく使われる男性名を掲載しているサイトを見つけ、「クラウス」の近くにあった「クルツ」という名前が私の好きなアニメのキャラクターと同じだったことから、「クルツにしましょうよ」といとーさんに提案したのですが「なんか違う」とあえなく却下。
リンクをたどって、ドイツ語のサイトをいくつか見ているうちに、名前ではなく単語の乗っているサイトに(笑)
その中からいろいろ候補があがったのですが、いとーさんが「これいいんじゃない?“なーさん”って呼びやすいし」と提案したのがドイツ語で「鼻」を意味する「Nase」でした。
「えー、鼻ぁ?」と不満だったわたくしですが、保護した当初、鼻水がひどくて「鼻水垂れ蔵」と呼んでいたこともあり「ま、いっか?」と納得してしまいました。
しかし、命名してみたものの、やっぱりなんとなく呼びにくく、結局いとーさんは「なーちゃん」と呼び、私は普段「にゃこちゃん(にゃんこちゃんの省略)」と全く名前とは関係ない呼び方をしております。そして愛称は「菜助」となりました。
というわけで、文中では「菜助」と表しますが、本名は「伊藤ナーゼ」となっております。どうぞお見知りおきを~。